子供の勉強のことで心底、困っている私。
何が困っているかと言うと、
「子供の頃の自分と子供が違う」と言う事なんだけど・・
親より子供の方が学歴がよいことで、その教育論を語るブログは山ほどある。
だけど、私が知りたいのはそっちではない。
『親と似たような学力つけたいのに、子供がそれについていけないパターンで、
それをどのように導いたか?』
そのようなブログが全くないのだ。
周りの友達に聞けばいじゃん?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
こういった(敏感な)内容は、リアル友人には聞きずらいし、
実際はかなりほったらかしでも出来るってパターンが多いんだよねぇ・・
で、例えば、東大とか桜陰とか本人が卒業し、ママとなった場合、
子供にどのようにして勉強を教えたのか知りたくて探したことがあるんだけど、
出てくる「東大ママ」「桜陰ママ」
本人じゃなく、その子供 が東大、桜陰・・
たま~に 東大理3の佐藤ママ 「灘→東大理III」3兄弟の母が教える中学受験勉強法 -
みたいな優秀なお母さん(灘中の入試問題解けて、勉強を教えることができる)
もいらっしゃいますが、
大半は、
「このお母さんだったら、たいていの子供は桜陰、東大に入るだろうな~」
といった佐藤ママのようなパターンでなく
「たまたま自分でやる子」をもっていただけで、
具体的な手段が欠落しているものなので、
残念ながら、有益な情報を得ることが出来ません。
こちらも情報を探している身なので、この手のブログに遭遇することが多いのだけど、
そこからは
「子供の実力を自分の手柄のように感じ、それを発信したくてしょうがない」感を
強く感じちゃうんですよ
(内容がないだけに、子供と自分の区別がついていない雰囲気のみ読み手に伝わる。)
でもって
「あ~、これひょっとしてマウンティングってやつ?
私は他のママとは違う、っていうのをいちいちだしちゃってるからさ」
少なくとも、自分とは別世界に生きる方々でしょう・・
なぜなら、「〇〇(この場合は子供が優秀)ママ」というネーミングセンスは
私にはないもん。
何よりも
「勉強という行為がものすごくキツイことで、それに耐えたのは子供自身」
という視点がどっかに飛んじゃっているとしか思えない。
(そのキツさに目を転じると、とてもじゃないけど自慢出来ないのが親じゃない?)
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同様の理由で、
「〇〇妻」のブログ もマウンティング臭が色濃く出てしまったパターンが多い。
ここでいう〇〇妻は、
「年上妻」とか「団地妻」とか「駐在員の妻」そういうんじゃなく、
夫の職業由来で、それを何やら特別なものと思ってるパターンのヤツです。
このタイトルをつけている時点で想像出来ることが結構あって、
「この人自身は〇〇ではなく、何もない」
「夫と自分の(社会的な)立ち位置が同じ、と勘違い」
「〇〇妻をタイトルにするというネーミングセンスを持ち合わせている」
「それほど珍しくない〇〇を過大評価する感覚のズレ。」
ざっと思いつくだけでこんな感じ。
夫婦間で、社会的評価&教育水準の大きな格差が背景にあって、
尚且つ、そこを(本人にとってのみ)都合よくとらえているってだけなんだけど・・
この手のブログは内容も共通点があって、
発信したい内容は特になく、
その行間には、明確なマウンティング行為がちりばめられている。
私は活字中毒であらゆるジャンルの本を読むほうだけど、
そういうのに慣れると、
たま~に、この手のブログに散見される、ぐちゃぐちゃな文章をみると
ものすごくストレスを感じることが多い(読める文章書いていないよ・・的な)
大ベストセラー本の、
漫画家の西原先生の 女の子が生きていくときに、覚えていてほしいこと -
の考え方に共感する私にとって、
「〇〇妻」とアピールするその姿は、
≪女に教育は不要。→夫のステータスでしか勝負できない無知と無力さ≫
といった、
昭和の時代の考え方に憑りつかれている人々、としか映りません。
ブログにも『読者の住み分けが存在する』と思っていて、
マウンティング目的の、「〇〇ママ」とか「〇〇妻」のブログの読者は
私ではないでしょう。
ただアンチ読者はかなり多いようで、
そこを計算し、あえて書き綴っているのかもしれません。
だけど、そういうのに違和感を感じない人もいるのだろう。
何よりも「書き手」が、実際にある程度存在しているってことが
それを証明しているわけですよね。

過去記事:弱い犬ほど、よく吠える(=マウンティング?)

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