結婚するまで実家でパラサイト。そして現在はダンナにパラサイトしている私。
頼れる相手がいると気が緩む性格には自分でも呆れる程ですが、
突き放されると途端にパワーアップするところもあるようです。
初めて「自我が目覚めた?」幼稚園の年少の春休みの出来事について。
これを思い出す度に、意外と「幼児でも考える能力はあるもんだ」ということを
考えさせられるのです。
~5歳(幼稚園年少から年長に上がる時期)の春休みの出来事 ~
子供の頃からかなり放任されて育った私。
暗くなるまでどこで遊んでいるか母親も全くわからないような育てられ方をしました。
さらには、妹の面倒を一切みない、クールな3つ上の姉。
そのような環境での普段の
私の遊び友達は、社宅同い年の子供もしくは1人遊び。
幼稚園年少の春休みのある日、
私は、新宿御苑に居ました。
母、姉、そして、姉の日舞(習い事)のお友達家族と「お花見」をしていたようでした。
週末の大変な混雑の中、広大な御苑の敷地内。
いつものように、母親はママ友との会話に夢中で、子供には目もくれず。
姉は日舞のお友達と御苑内のどっかに遊びに行ってしまいました。
遊ぶ友達もいなかった私は、ひとりで御苑内を散歩することにしました。
が・・ソコはいつもの家の近所ではなく、
広大な敷地と花見客で大混雑な新宿御苑。
どうやら、迷子になってしまったようでした。
歩けど、歩けど、どこも同じような景色。
「親たちがいたビニールシートがないよう。」
困った私は
「えーん。えーん。」
と泣きを入れて
『迷子の幼児』を演出してみたのでした。
・・私の想定では、親切な見ず知らずの人が声をかけてくれるはずでした。
ですが、ここは 大公園の新宿御苑
迷子のガキの泣き声などは、蚊の鳴くような音にしか過ぎないようで。
楽観的憶測がはずれた私は、受け身の戦略を変更することにしました。
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「泣いていても、誰も助けてくれないわ。自分でなんとかしなきゃ」
そう思った私は、人物観察をしだしました。
『親切で安全な人』をつかまえて、直接、助けをお願いする
という考えに切り替えたのです。
私は昔から現在に至るまで、ウルトラ方向音痴。
ゆえに「自力でアジトに帰る」ことをさっさと諦め、
親切な人の情に訴える戦略のほうがよいと思ったのです。
その頃から、警戒心というものを持ち合わせていたらしい私は、
「子供づれの無害な(?)主婦」に狙いを絞りました。
そこへ『小学生の男の子をつれたお母さん』が視界に飛び込んできたのです。
だだ~~とその親子のもとへ走り、
「お母さんとはぐれちゃったんですぅ・・」
「あらまぁ! それは大変!迷子案内所はどこかしら?」
そんなやり取りがあり、その親切なお母さんは、
私を迷子案内所に連れて行ってくれたのでした。
新宿御苑の迷子案内所。
お花見シーズンのせいか、迷子の子供ラッシュ。
そして待つこと20分ほど?
母親がやってきました。
「ど~~して、勝手にどっかいっちゃうのよ!」
とさんざん怒られ、
「ど~~して、プリ子の面倒を見てないのよ!」
と、なぜか 姉までとばっちりで怒られて、
その日は帰途についてこの件はおしまい、となるはずでしたが・・
その日の夜7時過ぎのNHKのニュース。
花見客でごった返ししている新宿御苑が放映され、
迷子案内所で半べそで待機している自分がTVに映し出されていました。。
以来、丸ノ内線で「新宿御苑前」を通りすぎるたびに、迷子の件を思い出すのですが、
この件は、子育てにおいて、
「幼児は見かけほど、幼くはないのでは?」
ということに気がつかせるのです。
「泣く」作業は、受け身のヘルプのサイン。
それが無効と分かったとたん、能動的な戦略を立て、
自分のために動いてくれる人物の『見極め』までするのですから・・
生まれて5年でもそういった知能があるので
「自分で解決する」機会を設けるために、
放任育児もある程度は必要なのかもしれません(??)
自己解決力を育てのは「ほったらかし」から?
過去記事:「無責任」って当の本人は幸せかも。

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