プリ子は20代半ばに会計士の資格を取るために、
ある特殊な環境で2年間強、働いていたことがあります。
その時の経験は、自分の育った環境を裏で支えるものを強く実感するものでした。
まず、どうしてそのような環境で働くことになったのかをご説明します・・
プリ子は大学卒業後一般企業に就職し、程なく退職した後
ニュージーランドに留学しました。
そこから帰国し10日程して、突然激痛で動けなくなり、救急車で搬送されました。
お医者さん「座骨神経ひどいですね~。椎間板ヘルニアです」
その後、1か月強入院するも、全く痛みが引かず、自宅療養となりましたが、
全く良くなる気配がありません。
激痛に耐えながら接骨院に通う半年間、
プリ子は完全にプー子のニート状態でした。
金もなければ、仕事もなく、体もイタイ。ナイナイづくしで「プチ鬱状態」
「帰国後、仕事しながら会計士の勉強しなきゃ」計画がいっこうに進まない中、
父親がビックリすることを提案しました。
父「プリ子くん。その体じゃ、都心通勤できないでしょ? うちの会社で働いてみない?」
プリ子の父親は 〇×ゼネコンに長い間、勤務していました。
当時、ゼネコンは冬の時代でした。
しかも〇×ゼネコンは、バブル時代の不動産投資が裏目に出て、
巨額の負債を抱えた「一番の負け組ゼネコン」と呼ばれ、倒産リスクを抱えていました。
当時5千人いた従業員を2千人レベルまで解雇する、
リストラの大なたを振るっていた時期でした・・
父「ウチの会社、業績がおかしくなってから、営業がある大手町以外、
本社機能を家賃が安い△△に移転したんだよ。」
当時、父は〇×ゼネコンの子会社に出向していましたので、
〇×ゼネコンが一部△△に引っ越ししたことすら、私はしりませんでした。
しかも・・ △△って家からたった一駅のところだったのです・・
プリ子は考えました。
「めちゃめちゃ家から近いじゃん?
ヘルニアでも何とか通勤できそうだし、会計士勉強時間も確保できるわ。
でも、いつ倒産するかわからない会社だし、給与も低いし、どうしよ~~? 」
「でも、ぼやぼやして、プー生活続けていても時間がもったいない。
ここは、試験合格まで、パパの会社にお世話になろう。」
プリ子 「お父さん、人事に話、通してもらっていい?」
プリ子は、なんと、自分を育ててもらった会社に、お世話になることになったのです・・
(ちなみに母もこの会社の大阪支店に勤めておりました。社内結婚ですぐやめましたが)
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当時、父親の会社は「家族の在職禁止」の条項がありました。
父は子会社に出向になったあと、60歳の誕生日に出向元の〇×ゼネコンを定年退職となり、
その子会社に転籍となりました。
この条項により、
父親が〇×ゼネコン定年退職を迎えたまさに次の日に、
その娘のプリ子が〇×ゼネコンに入社となったのです・・
早速、ドラ娘プリ子は、自宅から一駅のオフィスに引っ越したばかりの
〇×ゼネコンに勤務することとなりました。
配属された部署で挨拶しようとしたら、
S部長「いやあ~。お父さんとは大の仲良しだっだんだよ~」
H常務「おや~お父さんに良く似ているね~」(プリ子は顔は母親似である・・)
向かいの席に座っていた女性社員は旦那さんも同社ですが、
「今、会社の社宅のS荘に住んでいるの。」とおっしゃいました。
なんとそのS荘は、プリ子が2歳~8歳まで住んでいた社宅だったのです。
・・このように、プリ子パパに近い人達や、子供の頃住んでいた思い出深いS荘
情報などに囲まれるといった「ある特殊な環境」にて働きながら
会計士資格を取るといったミッションを果す日々が始まったのでした。

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