どなたかのブログのタイトルで
「教育は投資ではなく、消費である」
というのがありました。
そのブログにアクセスした所、その理由の記載はとくになかったのですが、
私が普段、ぼんやりと思っていたことをそのまま表した言葉そのものです。
(以下の記事は過去のものをメンテナンスしたものです)
教育は「投資」とか「財産」とか、一昔前は、それが当たり前だったのかもしれません。
高卒よりは、大卒のほうが給与が高いから、親はその分の学費を出せば、
子供の側により高い基本給、という形でリターンがくる、といった意味なのでしょう。
ですが最近は、高卒か、大卒か、
といった選択をする親は少なくなったからでしょうか?
大学のレベルの選別に注力するようになってきています。
そう言った場合、どの大学に行っても学費の違いは大きくは無く
親たちは当たり前のように、大学資金を集めるため、お金を貯めだします。
そういった意味で
教育費 = 衣食住にかかる消費項目と同義 = 消費
そう、教育費は「消費項目」なのです。
なぜなら、当たり前にかかるものですし、
子供がリターンを多く享受するとかは、大学のレベルによる部分が大きく
「学費そのもの」に対するリターンの意識は薄くなってきてしまってます。
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リターンの大きさ(子供の生涯年収)がある程度大学レベルに準じることで、
「学費」でなくその準備段階の「受験の為の塾や良い中高」に、
多くの金額を費やすのが近年の傾向です。(私の子供時代もその傾向はありましたが)
私は、自分が塾漬けであった経験上、
教育費は学習方法の選択をミスると
簡単に「浪費」項目に転落してしまう要素 で
もあるな、と考えています。
教育を「浪費」項目にしてしまうケース。
①「本人の習得する意思がない」
②「学習方法の詰めが甘い」
③「費用が効果に対して高すぎる」
などが該当します。
①②はそもそも無駄であり、「無駄」は消費ではなく浪費 に他なりません。
③は代替選択肢が手頃であればそちらを選択すべきである、と言う状況においては
選択肢をミスったことから、浪費に該当するのでしょう
幼児教育などに散財する親がいます。当然、目に見える効果などあろうはずもなく、
でもそのことを受け入れたくない親は「後悔してない」とか
なんだかんだと、うやむやにしてしまいがちです。
ですが、
その大金の出どころ(旦那の激務、等)が当然あるわけですから、
ここはきちっと線を引かないとずっと同じこと繰り返すことになります。
私もかつて高すぎる英語の教材を子供に買ったことがありました。
内容は悪くなかったものの、値段が高すぎる。
やはりあれは浪費に他ならないと思っていますし、
同じような事を繰り返してはならないと反省してます。
私は中高大学受験をすべて経験し通塾期間が長かった分、
塾のメリットデメリットも、それ以上に、
個人の家庭学習の在り方が最も重要であることを実感しています。
塾の過度なコミットや、多すぎる情報で子供を混乱させることなく、
きちんとやるべきことを消化する、という
シンプルですが、本質的なサイクルが確立できれば、
そのお金はきちんとした「消費」となってくると思うのです。

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