【自己肯定感】さえ持っていれば、人生のたいていの問題は解決する( と本気で思っている。)


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「自己肯定感」という言葉が広まりはじめたのはここ最近のことのような気がします。

昔だったら「自分に自信があるかどうか?」という言い方だったと思います。


実際に子育してみてこの「自己肯定感」というものがいかに重要か、

ということが身につまされて仕方がありません。


自己肯定感がある人の行動パターンで顕著なのは以下のとおり・・





将来の自分を信じているので、チャレンジと継続性がパターン化する。

ウチの子供の勉強を見ていても思うことですが、

受験に関しては『出来るはず!!』という思い込みが非常に大事です。

最初にこの信頼がないと、自身の中で埋もれた知識を呼び起こすことすら出来ません。


実際に物事をやり抜く力は、

1:自信(=やれば出来る!!)という原動力

2:効率的な手法と努力量

3:1&2が結びついたことによる結果

4:自信の獲得(→そして1へ戻し、新たなチャレンジへ。)


このような一連のプロセスを何回も得ることによって獲得していくもの。




結果を出すチャレンジを子供の頃から積み重ねてきて、

その結果をその都度確認ししてきた子供は

自己肯定感が強いのは言うまでもありません。


努力と器量で課題を打破することが習慣化してしまえば、

人生におけるある程度の問題は解決することができるでしょう。


ただ、チャレンジを大人になってやめてしまい、

過去の栄光に縋りつくのは見苦しいものなので、このあたりは注意したいところですが・・



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他人の意見は耳を貸すけど、情報をソートする習慣があるので流されない。

自己肯定感をある程度持っていれば、他人の情報をそのままうのみするのではなく、

ある程度「ひとつの情報として」うまく活用する手段をとります。


なぜならば 『情報量』は、それが品質の高いものであれば効率性につながるため、

それを求める自己肯定感の強い人にとっては、貴重な情報源となるからです。

ただ、それを鵜呑みにせず『ソート』します。


ある程度の人の体験に基づいたものでないと意味がない、

というのを知っているので猜疑心を圧倒的な情報量をもって取捨選択。


影響を受けるのは「自分よりもその分野において優れている人(結局プロにいきつく)」

なので、あっちこっちに流される傾向が少なくなります。





本人の努力と結果が評価基準のため、「見栄を張る」に価値を見いだせない


「見栄をはる」を辞書で調べると、「自分自身をより良く見せようとする行動」

つまり、「実力と伴わない印象を、他人に持ってもらうための行為」


確かに長い人生において、

「見栄を張る」のが大事な場面はあると思います。


ですが、それは日常的に使うことで、

「自身の実力をはき違えるというリスク」と隣り合わせなだけでなく、

実力者の目からは「実力の無さの裏返しの行動」ととらえられてしまいます。



自己肯定感の強い人は、

自分で自分を認めているので無駄なアピールを面倒と思う傾向が強く

さらには数々のチャレンジの中で、自身の弱さも知っているので、

日常的に「自分自身の課題」に目が行ってしまう傾向にあります。



自己肯定感の強いひとは、好奇心が強い人が多い傾向にありますが、

同時に時間の価値を知っているため大量の情報を

「自分に役に立つか?」という視点でフル回転でソートしています。



ある程度の人生の岐路で結果を出すことも、その後の環境変化に対応することも、

無意味な情報や環境を避けることも、

自己肯定感の強さで何とかなるケースが多いように思えます。


お勉強ができることと「賢さ」は明確に違うと思っています。



バランスだよなあ・・


シンプルにしないと可視化出来ないし~


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